座敷童のイメージ
「座敷童子」とは、主に岩手県を中心とした東北地方に伝わる子供の妖怪です。
岩手県の「緑風荘」や「菅原別館」は座敷童子に会える旅館として有名ですよね。この記事ではそんな座敷童子の正体・伝承・名前の由来などについて、詳しく解説していきます。
座敷童子は5〜6歳ぐらいの子供の姿をしていて、古い家の座敷や蔵に住み、イタズラしたり子供と遊んだりする、と伝えられています。
座敷童子がいる家では「誰もいないはずの部屋で足音がする」という体験談がよく聞かれますが、これは自分の存在に気付いてほしいからだと考えられています。子供の妖怪なので、大人の気を引きたい、かまってほしい、という気持ちがあるのかもしれません。
「よく物がなくなる」「寝ていると枕を蹴られる」とも伝えられていますが、これも単なるイタズラで、悪気があるわけではありません。
昔から「座敷童子がいる家は繁栄し、去るとその家は没落する」と言われています。
実際、柳田國男の小説『遠野物語』には「座敷童子が去った家で食中毒が起こり、家族全員が亡くなった」「子供にいじめられた座敷童子が姿を消し、その家は衰退した」という話が残されています。
そのため座敷童子がいる家や旅館ではおもちゃやお菓子を供えて、大切に祀っているのです。
しかし、座敷童子の恩恵は「家」に限定されるわけではありません。姿をみた人間にも恩恵をもたらし、男性が座敷童を見ると出世、女性が見ると幸せな結婚や妊娠が期待できると言い伝えられているのです。
また、座敷童は特定の人にもなつくと言われています。とある人に座敷童が好意を持った場合、その人が引っ越しても新しい居場所について行き、どこにいてもその人を訪ねると伝えられています。
座敷童子の正体は、子供の姿をした精霊、神の使い、家の守り神などと伝えられてきました。歴史を辿っていくと、子供の社会的な位置づけと風習から生まれた存在であることが分かります。
まず、子供が神と人間の間を繋ぐ存在であるとする民間信仰が、座敷童の形象に影響を与えていると考えられています。
特に、「七歳までは神のうち」という言葉が示すように、昔の日本では子供が無事成長することは容易ではなく、その貴重さが神聖視されたことから、座敷童が形作られたのかもしれません。
一方で、座敷童が亡くなった子供たちの魂であるという説も。座敷童の伝承が多く残る岩手県・遠野地方を含む東北地方は、寒暖の差が激しく、厳しい冬が訪れます。
そんな環境からか江戸時代から近代にかけて東北地方は凶作に見舞われており、「秋田県史」によると約260年間で71回もの凶作があったと記録されています。そんな環境の中、育てることができないために、間引きとして命を絶たれる赤ん坊が多くいました。
生まれて間もない赤子を間引くことは神に赤子を返す行為と考えられていたため、間引かれた子はお墓ではなく、その家の土間や台所に埋葬されていたようです。そして、その場所から座敷童となって出現したという伝承もあります。
岩手県遠野市には「障害を持つ子供だった」という説が残されています。人目をはばかって、家の奥深くの開かずの間に閉じ込めて育てたのです。
それでも障害を持つ子供を育てられるのは裕福な証拠。つまり「座敷童子がいる家が裕福になる」のではなく「裕福な家だから座敷童子がいた」というわけです。
このように、座敷童の正体には諸説ありますが、昔の人々の生活や信仰、そして歴史の中で形作られた妖怪であることは間違いないと言えます。没落や繁栄を司る座敷童は、厳しい自然環境とその中で生き抜こうとした人々の思いが絡み合いながら生まれ、今に伝えられているのです。
名前の由来は、文字通り「座敷に住む童子(子供)」と考えられています。地方によっては「座敷ぼっこ」、「御蔵ボッコ」とも呼ばれ、それぞれ「座敷に住むぼっこ(子供)」「蔵に住むボッコ(子供)」が、名前の由来です。
ちなみに岩手県出身の宮沢賢治の作品にも「座敷ぼっこ」の名前が登場しますので、興味のある方は読んでみてくださいね。
子供のような姿とは裏腹に家族の繁栄や個人の幸運に影響を及ぼす妖怪、座敷童。全国の宿泊施設やお店で出没していると言われています。
枕が移動したり、足音が響いたりするような不思議な出来事があれば、もしかすると座敷童があなたのお家を訪れているかもしれません。
悲しい一面をもつ妖怪ですが、子供の霊が家を守ろうとして住み着いていることは間違いないようです。これからも身近な存在でいてほしいですね。