つるべ落としは木の上から突然落ちてきて人を襲うと言われる妖怪です。主に京都府・滋賀県・岐阜県・愛知県・和歌山県などに伝わっています。ここではそんな妖怪つるべ落としの伝承・正体・名前の由来などを詳しく説明します。
表記・呼称 | 釣瓶落とし(つるべおとし)、釣瓶下ろし(つるべおろし) |
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簡易解説 | 首だけ妖怪。木の下を通ると急に落ちてきて、人間を襲ったり食べたりする。 |
危険度 | ★★★★★★★★★★ |
容姿 | 人間型 動物型 植物型 器物型 建造物型 自然物型 |
能力・特性 | |
伝承地 | 京都府、滋賀県、岐阜県、愛知県、和歌山県など |
出現場所 | 山 水 里 屋敷 |
記録資料 | 『口丹波口碑集』、『古今百物語評判』、『画図百鬼夜行』 |
登場創作物 | ゲゲゲの鬼太郎、妖怪の飼育員さん、平成狸合戦ぽんぽこ、千と千尋の神隠し、地獄先生ぬ〜べ |
釣瓶落とし(つるべおとし)は巨大な生首のような姿で伝えられる妖怪です。大木の梢などに潜み、下を人が通ると突然落ちてきて、驚かせたり、食べてしまうといわれます。
京都府曽我部村の、ある古いカヤの木の下を通ろうとすると、急に釣瓶落とし(つるべおとし)が落ちてきて、ゲラゲラ笑いながら「夜なべすんだか、釣瓶下ろそか、ギイギイ」と言って再び上がっていったという話が伝えられています。
また同じ村の別の場所、ある古い松の木の下を通ろうとすると、上から首が下りてきて、こちらの場合驚かすだけでなく、引っ張り上げられ食べられてしまうといわれています。
お腹いっぱいになればしばらくは出てきませんが、数日してお腹を空かせたら再び出てきて人を喰らいだすそうです。そして食べられた人の首だけが上からいくつも落ちてくる…という身の毛もよだつ話が伝えられています。
一方、岐阜県久瀬村(現揖斐川町)では、日中でも薄暗い場所に生える大木の上につるべ落としがおり、人が通ると釣瓶(つるべ:井戸の水をくみ上げる桶)を落として驚かせると伝えられています。こちらの伝承では「食べられる」という話はありません。
和歌山県海南市黒江では異なる伝承が残っています。古い松の根元に落ちている釣瓶を覗くと、中に光るものが見え小判だと思って手を伸ばすと、つるべ落としに引き込まれ、木の上に引き上げられてしまうのです。その後、脅かされたり、食い殺されたり、地面に叩きつけられて命を落とすという非常に危険な妖怪とされています。
つるべ落としの名前は、木の上から突然落ちてくる様子が井戸水を汲み上げる際の「釣瓶(つるべ)」の動きに似ていることから由来しています。
釣瓶とは、端に縄を取り付けた桶のことで、古い日本家屋の井戸には欠かせないものでした。水を組むために井戸の中に釣瓶を落とし再び引き上げる一連の動きから、木の上から不意に現れるつるべ落としの動きと重ね合わされ、その名が付けられたのです。
現代の日本では井戸水を汲む光景はほとんど見られなくなりましたが、時代劇などでその様子が映し出されることがあるため、もし見かけたら妖怪つるべ落としの動きを連想してみても良いでしょう。
余談として、日本には「秋の日はつるべ落とし」ということわざもあります。これは秋の日が短く、日が急速に暮れる様子を、釣瓶が井戸の中に素早く落ちる様子になぞらえている表現です。このことわざは、つるべ落としの名前とは直接的な関連はありませんが、同じ釣瓶の動きを描いており、季節の変化を感じさせる日本の自然観や文化が色濃く表現されています。
つるべ落としの正体について、はっきりと分かっていません。しかし、様々な文献や伝承によって、その正体にはいくつかの説が存在します。
一つは、この妖怪が狸や鬼の仕業であるという説です。この説は、古来から狸や鬼は人を化かす伝承が残っており、ここからつるべ落としの現象を引き起こしていると考えられています。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「釣瓶火」
一方で、つるべ落としは火の妖怪としての側面も持っています。別名「釣瓶火(つるべび)」とも呼ばれ、江戸時代の画家である鳥山石燕(とりやませきえん)にこの名がつけられるまでは、この火の玉のことをつるべ落としと人々は呼んでいました。
この釣瓶火は木から突然落ちてきて人を驚かすことはありますが、基本的には無害だそうです。時には、この火の中に人や獣の顔が見えることがあるとも言われています。現代まで伝えられている妖怪つるべ落としは、この釣瓶火の特徴から派生したものと考えられます。
ここまでのことから、つるべ落としの正体は謎に包まれています。しかし、様々な見方や伝承が残っていることから、人々がいかにつるべ落としを恐れていたかが想像できますね。
人々から恐れられ、正体がはっきりとしていない妖怪つるべ落とし。身近な道具から命名された親しみやすさが同居するこの妖怪は、薄暗い夜道や木々の不気味さから昔の人々が抱いていた恐れや不安を映し出しているのかもしれません。